2012/06/21

制作の神

制作の神は、いつ降りてくるかわからないから、ただただじっと、寄り添って待つしかないでのす。神経を敏感にさせて、降りてきたときに感じ取り、静かにカタチにしていきます。敏感に感じ取り、思うようにカタチにしたつもりでも、いざカタチになったものを見てみると、イマイチなときもあります。でも、時間が経ってから見てみると、また新たなインスピレーションが降ってきて、素敵な作品に化けることもあります。


制作の神は、え?!、今くるんだ?!ってときに降りてきたりします。
例えば、出かける1時間前とか、30分前とか。友達があと30分したら来るときとか。
今日はもう寝るベーと思いつつ、ふら~っとアトリエに行ったら、しゅるるるる~んって降りてくることもあります。

全く読めません。

今日は一日、制作の日にあてるぞ!と、気合を入れても、一日終わるときに振り返って、「あれ?今日は全然進まなかったぞ。マズイ。。計算外だ。。」(←展示直前のラストスパートのときなど。まぁ、よくあることです。)などなど。

かと思えば、展示直前、ヤバイ、間に合うか?!そんなこと気にしている心の余裕はない!!でも、どうしよう、まにあわなかったら。。。ゾクゾク、、という、かなりお尻に火がついた状態だと、神は、土壇場で降りてきてくれることが、大いにあります。

そんなときは、無我夢中。何をどうしたかわからないくらい、ただただ制作の神に従って、動くのみです。神経が先に切れるか、体力が先か、というギリギリのところまできます。そうなると、ナチュラルハイになって、割と自分のことはどうでもよくなります。富士登山にとてもよく似ています。そして、無事に展示が始まり、展示会期も終わったあとは、しばらく作品づくりのことは何も考えたくありません。全て出し切っているし、考えるネタもありませんな。

この展示直前のギリギリの状態、神がかったときのことを、あとで思い出してみると、いつも思うのですが、よくやったよな、よく出来たな、とても今は出来ないよ、と、我ながらビックリします。そしてこのギリギリ神がかった状態は、回を増すごとに伸びていいる気がします。自分の限界が、伸びていくといいますか。だから、昔に比べたら、だいぶドッシリしてきました。それより、ギリギリじゃなくて、もっと計画的に、早くからやりゃいいじゃんと言う声が、聞こえてきそうですが。。。分かってはいるんですが、ギリギリになんないと、ケツに火がつかないタチであるようです。

ながながと、制作に関することを書いてきましたが、今日はここまでです。
おつかれさまでした~。