2015/01/11
思い出した
2015年1月11日 1並びの今日。
今日、私の好きな茅ヶ崎のLAMA coffeeで、静かに熱くもくもくと、クロッキー帳に絵を描いた。
後ろの席のお客さんの会話を、何となくBGMに聞きながら、LAMAに置いてあるお気に入りの絵本を見ながら、もくもくと熱心に集中して絵を描いてた。ら、. . . . 思い出した。
小さい頃、無心に絵を描いていた頃を。
絵を描くことが純粋に楽しかったことを。
晩ご飯の後、自分の引き出しから、シャ−ペンと消しゴムと落書き帳の お絵描きセットを取り出して、もくもくと無心に絵を描いていたことを。それが楽しみだった。
とにかく絵を描いているだけで、楽しかった。
今も絵を描いたり、手を動かしてものを作ることは楽しいけど、見えない人の目を気にしている節があった。売れるかな、気に入ってもらえるかなと。どこかにあった。期待に応えなきゃと言うおもいがどこかにあった。
でもそれを気にすると、とたんに手と気持ちは、動きが鈍くなる。
純粋にマニアックに楽しんでいたじゃないか、子供の頃は。
小学校一年生の頃に、自分の限界に挑戦したいと思った時期があった。
どこまで小さい折り鶴が折れるかと思い、3mmくらいの折り鶴を爪楊枝などを使って折ったり、紙粘土で米粒大の寿司ネタをたくさん作り、軍艦巻きの海苔は、うす〜く棒で伸ばしてカッターで切り、いくらは一粒一粒作って、水彩絵の具で着彩し 寿司セットを作ったり、米粒に面相筆で絵や文字を描いたりしてたじゃないか、私。ものすごい夢中で。
生卵の底を直径1cmくらいにくり抜いて、中身を取り出して、カラを潰さないように洗い乾かし、カラに絵を描いたこともあった。何個も作った。それも夢中でやった。
そういうふうに、マニアックに追求することが楽しかった。
自分の世界を、限界を、ぐいぐい潜っていくことが。
34歳の今の私は、こう見えても 世間と足並みを揃えて生きてこようと、努力する場面もいくつもあり、それが今まで生きてくるための処世術だった。生きていくのに必要だった。
今までの私は、絵を描いたりもの作りをしていると、どこかで、この程度で抑えておこう、いい子でいようという思いがチラついて、何かを制御している節が どこかにあった。
でももうそれは、不要なことだと思った。
もう必要ない。
これからは、人目を気にせず、マニアックに思う存分突き進んでいこうと 思った。
案外 人は、その方が喜ぶと言うことがわかった。
私もそのほうがやりやすい。
なので今年の私の抱負は、「人目を気にせず、マニアックに思う存分突き進んでいこう」です。